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2019年春篇 四季の会 レポート

四季の会 由緒ある古社寺と古墳群、歴史の里へ

 

 

天候不順で冬に逆戻りの寒さが応える1日でしたが、42日(火)近鉄大阪阿部野橋駅に  21 名の方に参加頂きました。今回は普段見る事が出来ない国宝の拝観をします。

 

歩程は藤井寺駅⇒葛井寺⇒辛國神社⇒アイセルシュラホール⇒誉田御廟山古墳⇒道明寺⇒道明寺天満宮⇒誉田八幡宮⇒古市駅までの古代ロマンハイク7kmの街歩きです。 

 

世界遺産を目指す古市古墳群と由緒ある社寺を歩きます。葛井寺は聖武天皇の  誓願により日本最初の大僧正、行基により創建されました。平安時代から西国三十三カ所の五番目札所として信仰を集めました。

 

御本尊の千手観音菩薩は国宝に指定され、千本の手があるのは葛井寺だけで、非常に貴重な像となっております。(他は42本)

 

辛國神社は、延喜式に名を残す由緒ある神社で、物部氏を祀るため雄略天皇が創建した神社で、長い参道は大阪緑の百選となっています。(延喜式とは平安時代に格式の高い神社を示した書物)

 

遣隋使船の形をしたアイセルホールでは、見ごたえのある古代の展示品がいっぱい、集合時間を過ぎても見学に夢中で集まりません。

 

外環状線を跨ぐ陸橋から古市古墳群が一望。少し歩くと誉田御廟山古墳(応神天皇陵)です。

 

大仙古墳に次ぐ古墳で、上から見えないと池に囲まれた山にしか見えません。 

 

道明寺は土師氏の氏寺で土師寺として建立されまし。た土師氏は後に菅原と改姓。菅原道真公の祖先です。高度な土木技術もった土師氏は、百舌鳥古市墳古群の造営に従事し、朝廷に近い存在となります。

 

藤原時平と対立し左遷される道真がこの寺にいた叔母の覚寿尼を訪ね有名な歌をよんでいます。

 

後に人形浄瑠璃・歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』「道明寺」の場にも描かれています。立ち寄った道真公が自ら彫った「十一面観音菩薩像」は国宝です。道真公の別名であった「道明」から土師寺を道明寺と変更しました。

 

道明寺天満宮と一体でしたが、明治5年神仏分離により、道明寺は西側に移築されました。

 

下見では道明寺天満宮の桜の開花が見られ満開の桜の下で食事をする予定でしたが、ここ数日の気温で満開にならず残念ながら風が吹く寒さの中での昼食です。「寒い」

 

昼食後は本日のメインイベント「道明寺天満宮宝仏殿」の拝観です。

 

本来の拝観日は、年間で19回と中々拝観する事ができませんが特別拝観をお願いした所承諾いただきました。それも神職の説明付きです。【道真公遺品6点は国宝・他に重要文化財が数点】

 

土師氏・菅原氏の歴史、道真公の遺品などの説明を頂きまし。た天神様(道真公)を祀る神社は全国に万を超えるそうですが、道真公の遺品のある神社は道明寺天満宮だけとの事です。

 

新元号の「令和」は、大宰府で梅の花を題材にした32人の歌(万葉集)からとっていますが2人の土師氏が入っていたとの事で、土師氏が作った歌かもしれません。(作者不明です。)

 

菅原氏(土師氏)の故郷、菅原氏の氏寺などから本当の天満宮は道明寺天満宮でないかと思いました。 

 

誉田八幡宮は武運の神として崇拝を集め誉田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇 )、八幡大菩薩とも言われ、応神天陵前に神廟が設置された事から、誉田八幡宮が最古の八幡宮と称しています。

 

誉田八幡神は源氏の氏神で、源頼朝により社殿の修復や神輿の寄(贈国宝)、重要文化財の神功皇后の縁起など多数の宝物を所有しています 。武家の信仰を集め脇寺 15防を誇っていましたが、古市古墳群一帯は南北朝時代から大阪の陣まで何度も戦場にさらされ戦火により大部分が消失しています。

 

葛井寺・道明寺・道明寺天満宮・誉田八幡宮は戦火の消失がなければ寺社自体が国宝となり、百舌鳥・古市古墳群と一緒に、世界遺産になったのではないでしょうか。 

 

1430古市駅に到着。古墳に関係した菅原氏の故郷、国宝拝観・古社寺、皆様寒さより満足が大きい1日だったようです。

 

この後は「四季の会2」部、天王寺で反省会です。

 

 

 

次回は「歴史が息づく町にチンチン電車が走るpart2 」です。